慣れ

今月で息子が産まれて6ヶ月になる。

誰かがうんこしたオムツを交換するという作業をしたことがなかったため、最初の頃は息子のオムツ交換をする度に「うわー、うんこしてるじゃん!あっ、服にうんこ付いた!ひぃ!」という感じでかなりイヤな作業という分類だった。

しかし人間は慣れる生き物のようで、今では大でも小でもかかって来いよというところまで精神レベルを引き上げることが出来た。

何というか、うんこがイヤなものという考え方が変わったというよりは、うんこをうんことしていちいち認識して従来のイメージに当てはめて不快になるというステップを、わざわざ踏みにいかなくなったというイメージだ。

正直私は直感的に、うんこに慣れるのは厳しいと思っていたため嬉しい誤算だった。

それに引き換え出勤前の月曜日の不快感は何度経験しても慣れることはない。

今は漠然と、一体何をどうやったらこれに慣れることが出来るのか、などと考えながらこの記事を書いている。

月曜日まであと5日。

きっとその日の出勤前に晴れやかな顔をしているということはないだろう。この世の終わりのような顔をしているに違いない。

一昔前なら多分逆だったが、今ならはっきり言える。うんこより月曜日の方が圧倒的に嫌いだ。月曜日死ね。クソ、ボケ、バーカ。

妻と桃鉄で遊ぶのが好き

たまに妻とスイッチの桃鉄で遊ぶ。

メインは3年決戦モードだ。

 

CPUは最初は2体ともさくまにしていたが、今は私か妻が1位を取る確率を上がるために楊貴妃とさくまにしている。

 

この3年決戦モードは麻雀やバトグラの運要素を更に大幅に上げたようなゲーム性だが、運要素の低い、実力が勝敗に直結するようなゲームは負けたときのストレスも大きいことを考えれば、夫婦でやるにはこれくらいがちょうど良いように思う。

 

エンジェルカードがミカエルになった瞬間勝敗がほぼ決するなどバランスの悪い部分もあるが、特に戦績がどうとかいうゲームでもないので「クソゲーじゃん」とか言い合いながら楽しんでいる。

 

ただ、桃鉄には妨害系のカードというものがあり割と使われた側が不快なものが多いため、ネット上ではたまに「夫婦喧嘩になった」だとか「友達と険悪な雰囲気になった」などの声を目にする。

 

改めて考えてみて、うちではそういうことはないなと思ったので何故なのか考えてみた。

 

特にチームを組むでも何かを縛るわけでもなく遊んでいるし、確かなことは言えないが、恐らくやり過ぎないことが大事なのではないだろうか。

 

「これはさすがにかわいそうだからやめとくか」という線引きがないと、自分は楽しいけどやられてる側は楽しくないという、それこそイジメに似た構図になってしまう。

 

もちろんそれが絶対というわけではなく、相手が「桃鉄はどんな汚い手を使ってでも全力で1位を取りに行くゲームだ」という価値観でやっているとしたら、そんな情けは必要ないどころか逆に不快にしてしまうというケースもあるかもしれない。

 

結局のところ、今から誰かと一緒にやろうとしてる桃鉄がどういう性質のゲームなのかを、相手の価値観を材料に把握するなり話し合うなりして、お互いが理解した上でプレイするのが間違いなさそうだ。

 

無駄に大袈裟な話になってしまったが、桃鉄は意外に奥が深いゲームなのかもしれない。

三重オールナイト営業に行ってみた

 

2023年1月1日。時刻は午前1時。

伊勢神宮参拝客へのトイレ提供のためにオールナイト営業している三重県のパチンコ屋さんに行ってみた。

 

ちなみにこのホールから伊勢神宮までは距離にして65kmあるが、今回はその話はやめておこう。

 

まだまだ客は多いに違いないが、あわよくば遊べたらいいなと思いつつ恐る恐る中へ。

 

 

何じゃあこりゃあああああ!

凄すぎる。人も凄いが床に置いてある射幸性物質による人体への影響がゼロだとはとても言い切れない。

 

だが一つ注釈をすると、この店は大体12000発(10箱)くらいになると別積みを始めることから別積みのハードルは恐らく相対的にかなり低めだ。

 

とはいえだ。

とはいえこれは常軌を逸している。

 

圧倒的な非日常をまざまざと見せつけられ面食らいつつも空き台を探す。

 

エヴァやリゼロは見なくてもわかるし島にも入りたくない。

Re:北斗無双はどうか?満台だ。

ミドルの牙狼何かしら空いてないか?空いてない。

ええい、真・花の慶次3だ!打てればあのクソ台でもいい!こんなのが埋まってる…だと?

 

そんなこんなで苦笑いしながら彷徨っていると、交換待ちで席を立っている人を発見。

 

すかさずその席を確保。

ベルセルク無双という小当たりラッシュ機だ。

この台は1年半ほど前、福岡にいたときにさむおとノリ打ちして2人合わせて3万発だか4万発だかジャンジャンバリバリ爆出しして大勝ちした思い出の台だ。

 

相手に取って不足なし。

鼻息荒くサンドに諭吉を投入する。

 

12回転くらいしか回らないことを覚悟していたが、意外にもそこそこ回って最終的には1000円15回転から16回転ほどで落ち着いていた。

 

そして結果は

358回転:通常

109回転:5連

72回転:4連

やめ

 

という内容で31000投資の回収が36930で、プラス5930という辛勝となった。

 

打っている間はというと、ひっきりになしに空き台を探す客が後ろを通るという状況で、それが途絶えることはなかった。

 

その様は座れてるだけで勝ち組になったと錯覚させられるほどだった。

 

ただ、店内でパチンコを打ってると時間の感覚が麻痺するため、こんな時間にパチンコを打ってるぞという非日常感が持続するかというとそうでもなく、割と普段打ってるときの感覚とそう変わらない。

 

何より睡魔が最大の敵で、正直パチンコ打ってることそのものが割とどうでもよくなってくるため厄介である。

午前4時半の景色①

午前4時半の景色②

 

総括すると、普通に(勝ったから)行ってよかったと思ったし、何より(勝ったから)楽しかった。

 

ただ、仲間と一緒に朝一から店に並んで、隣同士で打つというような経験が出来たら間違いなく何倍も楽しかっただろうなと思う。

 

そういう意味でも三重オールナイト営業は無茶が出来る20代のうちに行くなどして済ませておくことをオススメする。

 

やはり特定の日、特定の場所でしか経験出来ないことというのは思い出に残りやすいし、良い話の種にもなると思う。

 

あとは三重オールナイト営業もコンサートやスポーツ観戦などと共通してる部分として、同じ目的の人間が同じ気持ちで同じ場所に集まっているという側面があるため、それらと同様の一体感みたいなものが得られるように感じた。

 

実はこれこそが三重オールナイト営業の醍醐味なのではないだろうか。

 

んなわけねぇだろみんな運だけで10万発出しに来てるに決まっとるわ。

パチンカスなら誰もが憧れる三重オールナイト営業

三重県では元旦の伊勢神宮参拝客のトイレを確保する目的(口実)で、パチンコ屋の年越しオールナイト営業が許可されている。

 

毎年大晦日になると、この年に一度の三重県でのみ行われるビッグイベントに胸を高鳴らせ、全国各地からパチンカスやパチンコ系YouTuberが集結する。

 

だが、この日は店からしたら何も努力しなくとも客は入るし、県外の客が多いからリピーターを増やすために還元する必要もないということから、圧倒的に客が不利な日でもある。

 

パチンコは通常営業より回らないことが容易に想像出来るし、スロットも普段以上に設定が入っていないだろう。

 

事実として例年10万以上負けたという報告はザラにあるし、中には20万以上負けたという報告さえ存在する。

 

では何故パチンカスは三重のオールナイト営業に引きつけられるのか。

 

オールナイト営業にフル参加するような人たちで本気で勝ちたいと思ってる人は一握りで、恐らく多数派の考えとしては非日常感を味わいたいという気持ちで臨んでいるのではないだろうか。

 

ただでさえ深夜から朝にかけてパチンコを打ち続けている状況というのは普通ではあり得ないし、さらには年が変わる特別な瞬間をパチンコを打ちながら過ごすのだから、パチンカス目線ではなく客観的に見てもこれ以上ないほどに非日常なのは明らかである。

 

かくいう私も朝一からフルで参加する根性はないものの、深夜2時からパチンコ打つくらいの経験はしてみたいという気持ちはある。

 

そこで、明日になったら近所のパチ屋を視察に行ってレポートしてみようと思う。

 

べ、別にパチンコを打ちに行くというわけではなくレポート目的だということはあらかじめ宣言しておこう。そう、レポート目的だ。絶対にレポートするために行くだけである。「お、Re:無双空いてるじゃん!まず一枚目ドロー!」とか言いながら財布から諭吉をバーサーカーソウルするつもりはない。

 

年に一度のパチンカスのための祭典三重オールナイト営業。

 

みんな死んだ魚のような目をしているかもしれないし、或いはそれを補って余りある活気で満ちているかもしれない。

 

どうあれ、その空気感を味わえるだけでも十分に非日常感を味わえるはずだ。

死んだら終わり

テレビゲームの中の世界ではキャラクターが死んでも生き返ったり、生き返るという描写はなくとも何度でもやり直すことが出来る。

それに引き換え人生というのは一度ミスして死んでしまったらそこで終わりだ。

誰しも一歩間違えば死んでいたという経験が1つや2つはあるのではないだろうか。私の場合はパッと思いつくだけで3つある。

・小さい頃に十円玉を飲み込んでしまって窒息しかける

・チャリで急な坂道を下ってたときに段差に気づかずハンドルを取られ、電柱にぶつかって頭から血を流し救急車で運ばれる

・出勤中に極限まで我慢したうんこをしようと職場のトイレの個室に駆け込んで、鍵をかけてズボンを下げてる途中でパンツに漏らす

このように、振り返ってみれば当たり前のように生きている今は、運が良かったからというべきか運が悪くなかったからというべきか、それぞれのシーンで死ななかったからこそ続いている。

別に死んでしまったら無に帰るだけなんだから死んでもいいじゃんという考え方も正しいのかもしれない。

しかし自分をゲームの主人公に置き換えて表現するとしたら、途中で死ななかった場合のエンディングまでのシナリオを全部観たいと思うのである。

PS2アンリミテッドサガというゲームがある。

中学生の頃、何か面白そうなゲームがないかなとゲーム屋さんの棚を眺めていた私の目に飛び込んできたのが新品のこいつだった。

確かフルプライスの6800円で母親に買ってもらったと思う。

ワクワクしながらプレイし始めた私だったが、異変に気付くのに時間はかからなかった。

どう考えてもクソゲーなのだ。

RPGなのにすごろくみたいな簡略化されたマップの上をチョコチョコ進むのがメインで、会話やイベントも3Dグラフィックでは無く紙芝居で繰り広げられる。

戦闘も特に他の同ジャンルのゲームに優っている要素があるとは思えず中毒性は感じられず、シナリオも続きが気になるような魅力的なものではない。

褒められるのはキャラデザとBGMくらいのもんであった。

そして程なくしてこのゲームがクソゲーであることを裏付ける出来事が起きた。

発売から数ヶ月で980円やらで投げ売りされるようになったのである。

当然エンディングまで辿り着いた者はかなり少なかっただろう。

そしてこの文章もまたエンディングを迎えることはなさそうである。死んだら終わりというテーマでノープランで書き始めたはいいが、何が言いたいのか23時40分時点で全くわからんのである。

書き直す時間も推敲する時間もない。

この文章はアンリミテッドサガ以下だが、人生はアンリミテッドサガ以上のものにしたいと思う。

そのためにも死んだら終わりの人生を、どうにか生き続けたいものである。

日記:連休初日といえばやっぱりパチンコノリ打ちですよね

今日は車を1時間ほど走らせて、愛知の友達とZENT住吉店にパチンコのエヴァ15をノリ打ち(収支を折半する遊び方)をしてきました。

 

楽しかったです。

 

何故か酒が世界一弱いのにさっき(22時半頃)冷蔵庫のほろよいを飲んでしまったのと、制限時間が1時間ほどしかないので正直今日の日記はここで終わりたいですが、ざっくりどんな感じだったか書いていきます。

 

一応注釈しときますがガチでただの日記です。

 

まず朝一44回転で俺が下段2やらレイ背景さよならボイス付きやらモリモリで当たり昇格してSTへ。

 

14連で終わり。

 

と思ったら電サポ抜け後、残ってたヘソ保留の1個目で始動時シャッターロングからステチェン夕方、右から停止34ダブル、レイ背景、弐号機リーチで当たり再び昇格。

 

10連。

 

最初のST中にトイレやらでヘソ消化しなくて良かった。

 

その後友達も13連。

 

この時点で世界中のパチンカスを敵に回して呪われてしまったのか、1090(ST消化分含む)ハマりから通常。

 

時短100回もあっさり抜けてしまいゲロ吐いてたら残保留1個目でシンジ擬似飛んできてSTへ。

 

何連したか忘れた。3〜5。

 

その後も何やかんやちょこちょこあたり合計42500発ほどで終了。運だけで+80kうめぇ。

 

二人ほぼ同時にST入って「ここから先は競争だ」と言ったかどうかは記憶にないが7連と8連するなどあり、もう今日で連休終わりでいいわ!というくらい楽しんだ。

 

その後はパチンカスあるあるの勝者飯へ。

 

 

適当にグーグルマップで近いとこ調べて行ったけどうなぎの焼き加減がこれ以上ないくらい完璧で美味すぎた。