HS婚から3年が経ちました

早いものでHS婚から3年が経ちました。

 

結婚というものが何なのか良くわかってなかったのですが、今ならハッキリわかります。

 

結婚とは仕事で、家庭は職場です。

もちろん常にというわけではなく一つの側面としてですが。

 

あー、これは仕事出来ない人間には厳しいなと悟るまでに時間はかかりませんでした。

 

そうです、私のことです。

 

大学時代にやってたアルバイトでは高校生の先輩に呆れられ、22歳のときにパートで働いてたパチ屋では19歳の後輩にブチ切れられるなど、無能のエリート街道を邁進してきた私は絶望しました。

 

ゴミ捨て、食器洗い、洗濯、掃除、料理、タオル交換、買い物…

 

無限に湧くタスク。

見つからないやる気スイッチ。

 

新世紀エヴァンゲリオンという作品で、中学生のシンジ君は突然知らない組織の大人たちに巨大ロボットに乗って巨大な敵と戦うよう促され「見たことも聞いたこともないのに出来るわけないよ!」と言いましたが、まさにそれです。

 

今までボケーっと酸素吸って二酸化炭素出して飯食ってうんこしてただけなのに出来るわけないよ!

 

幸い妻が仕事が出来る人だったので何とか家庭は回っていますが、やはり共働きである以上は不公平感がどちらかにあってそれが積もっていってしまうことは最も良くないことだと思います。

 

例えばペアでゴミ回収する仕事をするとして、同じ給料なのに片方は運転するだけでもう片方は全てのゴミを車に積まないといけないくらい作業量に差があったら、そりゃあゴミを積んでる方はムカつきますよね。文句言って改善を求めるか辞めるかになるでしょう。最悪運転手をゴミにしてしまうかもしれません。

 

なかには!

なかにはそういう心理にすら気付けない、モラルを公園の鉄棒で逆上がりした時にでも落としてしまった人も多数いるのでそれよりはマシですが、このままではいけないと思っています。だからこそ今の私はこのままではいけないと思っている。

 

全然HS婚関係ないやんけと思った方しかいないと思いますが、まぁさすがに今となってはHSを仲睦まじくプレイするということはほとんどなくなりましたね。

 

「HS婚いいですよ、みなさんもどうですか?」とか一切思いません。たまたまHSで知り合った者同士で結婚に至っただけです。

 

何かネガティブなことばかり書いてしまいましたが、何やかんやで結婚3周年を迎えることが出来たので褒めて下さい!妻を。

理想の父親像

私の理想の父親像の一つとして「我が子の哲学的な質問に自分なりの答えを用意出来る」というなんか良くわからんフワッとしたものがあります。

 

正直どっからどこまでが哲学なのか良くわからんので別に哲学に限定するものでもないのですが、要するに答えが一つではなく、答えが一つではない故にあまり誰からも教えてもらえないようなことを日頃から言語化し取り揃えておいて、いつでも引き出せる小洒落たおっさんになりたいのです。

 

今回はその手の質問に対する現時点での私なりの答えを一問一答形式で文字にしてみようと思います。

 

本来対話になるはずなので凄くアバウトなというか、ピントの合いづらいとてつもなく押し付けがましいものになってしまうと思われますが、まぁそんな感じでお願いします。あくまでスタンスとしては「私はこう思う」です。

 

・人は何のために生きるの?

所属するコミュニティで喜怒哀楽を共有し共感し合える関係を構築し、誰かから必要とされるため。

 

・幸せの定義は?

自分に無いものではなく自分に有るものに意識が向いている状態のこと。

 

・部活をやる意味は?

他者との関わりの中で社会性が身についたり、能力の伸ばし方を学ぶことが出来るため、仕事の予行練習になる。チームスポーツに打ち込んだ経験のある人は仕事出来る人が多い傾向があるように思う。

 

・公衆トイレのポジショニングは?

人にはパーソナルスペースという出来るだけ他人には近寄られたくないという性質があるため、極力隣に誰もいない便器を選ぶと良い。逆に仲が良い相手と連れションなら隣にしなければならない。これ以上は長くなるため割愛。

 

以上です。

 

また気が向いたらやろうかなと思います。

文章にまとめる作業をすると、また違った視点が見つかったりして楽しいですね。

 

にしても自分で言うのだいぶキモいですが息子が羨ましいです。父親とこういう会話一切した記憶ないから本当に羨ましい。

 

まぁ息子がこういう話興味なければそれはそれでいいんですけどね。楽しい人生にして欲しいです。

慣れ

今月で息子が産まれて6ヶ月になる。

誰かがうんこしたオムツを交換するという作業をしたことがなかったため、最初の頃は息子のオムツ交換をする度に「うわー、うんこしてるじゃん!あっ、服にうんこ付いた!ひぃ!」という感じでかなりイヤな作業という分類だった。

しかし人間は慣れる生き物のようで、今では大でも小でもかかって来いよというところまで精神レベルを引き上げることが出来た。

何というか、うんこがイヤなものという考え方が変わったというよりは、うんこをうんことしていちいち認識して従来のイメージに当てはめて不快になるというステップを、わざわざ踏みにいかなくなったというイメージだ。

正直私は直感的に、うんこに慣れるのは厳しいと思っていたため嬉しい誤算だった。

それに引き換え出勤前の月曜日の不快感は何度経験しても慣れることはない。

今は漠然と、一体何をどうやったらこれに慣れることが出来るのか、などと考えながらこの記事を書いている。

月曜日まであと5日。

きっとその日の出勤前に晴れやかな顔をしているということはないだろう。この世の終わりのような顔をしているに違いない。

一昔前なら多分逆だったが、今ならはっきり言える。うんこより月曜日の方が圧倒的に嫌いだ。月曜日死ね。クソ、ボケ、バーカ。

妻と桃鉄で遊ぶのが好き

たまに妻とスイッチの桃鉄で遊ぶ。

メインは3年決戦モードだ。

 

CPUは最初は2体ともさくまにしていたが、今は私か妻が1位を取る確率を上がるために楊貴妃とさくまにしている。

 

この3年決戦モードは麻雀やバトグラの運要素を更に大幅に上げたようなゲーム性だが、運要素の低い、実力が勝敗に直結するようなゲームは負けたときのストレスも大きいことを考えれば、夫婦でやるにはこれくらいがちょうど良いように思う。

 

エンジェルカードがミカエルになった瞬間勝敗がほぼ決するなどバランスの悪い部分もあるが、特に戦績がどうとかいうゲームでもないので「クソゲーじゃん」とか言い合いながら楽しんでいる。

 

ただ、桃鉄には妨害系のカードというものがあり割と使われた側が不快なものが多いため、ネット上ではたまに「夫婦喧嘩になった」だとか「友達と険悪な雰囲気になった」などの声を目にする。

 

改めて考えてみて、うちではそういうことはないなと思ったので何故なのか考えてみた。

 

特にチームを組むでも何かを縛るわけでもなく遊んでいるし、確かなことは言えないが、恐らくやり過ぎないことが大事なのではないだろうか。

 

「これはさすがにかわいそうだからやめとくか」という線引きがないと、自分は楽しいけどやられてる側は楽しくないという、それこそイジメに似た構図になってしまう。

 

もちろんそれが絶対というわけではなく、相手が「桃鉄はどんな汚い手を使ってでも全力で1位を取りに行くゲームだ」という価値観でやっているとしたら、そんな情けは必要ないどころか逆に不快にしてしまうというケースもあるかもしれない。

 

結局のところ、今から誰かと一緒にやろうとしてる桃鉄がどういう性質のゲームなのかを、相手の価値観を材料に把握するなり話し合うなりして、お互いが理解した上でプレイするのが間違いなさそうだ。

 

無駄に大袈裟な話になってしまったが、桃鉄は意外に奥が深いゲームなのかもしれない。

三重オールナイト営業に行ってみた

 

2023年1月1日。時刻は午前1時。

伊勢神宮参拝客へのトイレ提供のためにオールナイト営業している三重県のパチンコ屋さんに行ってみた。

 

ちなみにこのホールから伊勢神宮までは距離にして65kmあるが、今回はその話はやめておこう。

 

まだまだ客は多いに違いないが、あわよくば遊べたらいいなと思いつつ恐る恐る中へ。

 

 

何じゃあこりゃあああああ!

凄すぎる。人も凄いが床に置いてある射幸性物質による人体への影響がゼロだとはとても言い切れない。

 

だが一つ注釈をすると、この店は大体12000発(10箱)くらいになると別積みを始めることから別積みのハードルは恐らく相対的にかなり低めだ。

 

とはいえだ。

とはいえこれは常軌を逸している。

 

圧倒的な非日常をまざまざと見せつけられ面食らいつつも空き台を探す。

 

エヴァやリゼロは見なくてもわかるし島にも入りたくない。

Re:北斗無双はどうか?満台だ。

ミドルの牙狼何かしら空いてないか?空いてない。

ええい、真・花の慶次3だ!打てればあのクソ台でもいい!こんなのが埋まってる…だと?

 

そんなこんなで苦笑いしながら彷徨っていると、交換待ちで席を立っている人を発見。

 

すかさずその席を確保。

ベルセルク無双という小当たりラッシュ機だ。

この台は1年半ほど前、福岡にいたときにさむおとノリ打ちして2人合わせて3万発だか4万発だかジャンジャンバリバリ爆出しして大勝ちした思い出の台だ。

 

相手に取って不足なし。

鼻息荒くサンドに諭吉を投入する。

 

12回転くらいしか回らないことを覚悟していたが、意外にもそこそこ回って最終的には1000円15回転から16回転ほどで落ち着いていた。

 

そして結果は

358回転:通常

109回転:5連

72回転:4連

やめ

 

という内容で31000投資の回収が36930で、プラス5930という辛勝となった。

 

打っている間はというと、ひっきりになしに空き台を探す客が後ろを通るという状況で、それが途絶えることはなかった。

 

その様は座れてるだけで勝ち組になったと錯覚させられるほどだった。

 

ただ、店内でパチンコを打ってると時間の感覚が麻痺するため、こんな時間にパチンコを打ってるぞという非日常感が持続するかというとそうでもなく、割と普段打ってるときの感覚とそう変わらない。

 

何より睡魔が最大の敵で、正直パチンコ打ってることそのものが割とどうでもよくなってくるため厄介である。

午前4時半の景色①

午前4時半の景色②

 

総括すると、普通に(勝ったから)行ってよかったと思ったし、何より(勝ったから)楽しかった。

 

ただ、仲間と一緒に朝一から店に並んで、隣同士で打つというような経験が出来たら間違いなく何倍も楽しかっただろうなと思う。

 

そういう意味でも三重オールナイト営業は無茶が出来る20代のうちに行くなどして済ませておくことをオススメする。

 

やはり特定の日、特定の場所でしか経験出来ないことというのは思い出に残りやすいし、良い話の種にもなると思う。

 

あとは三重オールナイト営業もコンサートやスポーツ観戦などと共通してる部分として、同じ目的の人間が同じ気持ちで同じ場所に集まっているという側面があるため、それらと同様の一体感みたいなものが得られるように感じた。

 

実はこれこそが三重オールナイト営業の醍醐味なのではないだろうか。

 

んなわけねぇだろみんな運だけで10万発出しに来てるに決まっとるわ。

パチンカスなら誰もが憧れる三重オールナイト営業

三重県では元旦の伊勢神宮参拝客のトイレを確保する目的(口実)で、パチンコ屋の年越しオールナイト営業が許可されている。

 

毎年大晦日になると、この年に一度の三重県でのみ行われるビッグイベントに胸を高鳴らせ、全国各地からパチンカスやパチンコ系YouTuberが集結する。

 

だが、この日は店からしたら何も努力しなくとも客は入るし、県外の客が多いからリピーターを増やすために還元する必要もないということから、圧倒的に客が不利な日でもある。

 

パチンコは通常営業より回らないことが容易に想像出来るし、スロットも普段以上に設定が入っていないだろう。

 

事実として例年10万以上負けたという報告はザラにあるし、中には20万以上負けたという報告さえ存在する。

 

では何故パチンカスは三重のオールナイト営業に引きつけられるのか。

 

オールナイト営業にフル参加するような人たちで本気で勝ちたいと思ってる人は一握りで、恐らく多数派の考えとしては非日常感を味わいたいという気持ちで臨んでいるのではないだろうか。

 

ただでさえ深夜から朝にかけてパチンコを打ち続けている状況というのは普通ではあり得ないし、さらには年が変わる特別な瞬間をパチンコを打ちながら過ごすのだから、パチンカス目線ではなく客観的に見てもこれ以上ないほどに非日常なのは明らかである。

 

かくいう私も朝一からフルで参加する根性はないものの、深夜2時からパチンコ打つくらいの経験はしてみたいという気持ちはある。

 

そこで、明日になったら近所のパチ屋を視察に行ってレポートしてみようと思う。

 

べ、別にパチンコを打ちに行くというわけではなくレポート目的だということはあらかじめ宣言しておこう。そう、レポート目的だ。絶対にレポートするために行くだけである。「お、Re:無双空いてるじゃん!まず一枚目ドロー!」とか言いながら財布から諭吉をバーサーカーソウルするつもりはない。

 

年に一度のパチンカスのための祭典三重オールナイト営業。

 

みんな死んだ魚のような目をしているかもしれないし、或いはそれを補って余りある活気で満ちているかもしれない。

 

どうあれ、その空気感を味わえるだけでも十分に非日常感を味わえるはずだ。